過去の日誌12/16〜31

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コンコースに戻ります


12月31日
Jornadaをネットワークに繋いで見る。あっさり動くがサスペンドさせたあと復帰させて最初の1つ目のIEだけがこけるってのはなんなんだろう。これは自宅でも一緒である。

仕事忙しい。まあ、想像の範疇内だったけど。Jornadaを半日イーサネットカード経由でぐるぐるして、昼過ぎにバッテリーのゲージが半分になった方が驚きだった(逝)

仕事が終わって大阪駅へ。MO−2氏が旅行中に立ち寄るので迎撃だ。文市氏も乗ってくれた。MO−2氏はきたぐにで新潟へ、文市氏はムーンライト八重垣で山陰へ向かう。いいなあ。
まずは食事する所捜さないと話にならん、という事で邂逅前に地下街をうろうろする。うわぁ阪急三番街もホワイティ梅田も全部閉まってる。こりゃシャレにならんかも。

大阪駅中央コンコース内の中国料理店が22時、回転寿司が23時まであいてるのを確認して一息。まあ、酒呑んで大騒ぎ、って面子じゃないので、食事だけだとアレだからのんびりお茶する場所も欲しい。

ということでさらに足を伸ばしてヨドバシを物色。お、ヨドバシ8Fのレストラン街22時までだ。これでなんとかなりそうだな。それと7FのCafe comme caが23時までだからこれで問題ないだろう。

MO−2氏と大阪駅内で邂逅。お久しぶり〜。夏の飯田線オフ以来だね。
文市氏とはヨドバシで邂逅(笑)あ、コートが同じだ(逝)おそるべしユニクロ(逝)

結局ヨドバシ8Fでしゃぶしゃぶ食べ放題に決定。90分って食べ放題の時間として指定されると短いように思うが、十分。腹パンパン(逝)

で、7FのCafe comme caに。ケーキと紅茶で1200円コースだけど、23時まで空いてるのはありがたやありがたや。

22時過ぎに文市氏がムーンライトに乗るために出発。実はそれまでまったく文市氏も出発っての忘れていたのは内緒だよ(逝)

ぎりぎりのタイミングで4番線に止まっていたムーンライト八重垣に文市氏乗り込む。青い車体の14系の折り戸が静かに閉じて、EF65がぴょおっっと細く物悲しいホイッスルを吹き鳴らした後、ゆっくりと本線へと滑り出して行った。

文市氏見送った後コンコースで少し立ち話。いいよなあ。PDA。Jornadaはいいマシンだがアシスタント、というにはガタイがでかいんだよなあ。やっぱ。

というわけで帰る事にする。
梅田駅でちょっと考えて、記念ものとして初詣グルッとワイドチケットを調達する事に。以前の三福参り乗車券の発展型で、グルッとチケットは十三-宝塚-西宮北口-十三の環状線が1月1日〜7日の1日間乗り放題で500円、初詣グルッとワイドチケットはそこに西宮北口-夙川、西宮北口-今津、石橋-箕面、十三-淡路、そして十三-梅田が加わって600円というもの。
どちらも1月1日分に限り12月31日の18時から使えるのだ。今から豊中駅まで戻って220円、明日、仕事で往復して220円×2で合計660円。土休日回数券よりは落ちるがまあ、元は取れるから十分だろう。

今年もお世話になりました。ありがとうございます。すべての皆様に感謝を。


12月30日
日誌は新年分から.npへと移行させる予定なので、雛形となるファイルをこそこそ作成してアップロードする。CGIと連動させるのでそっちもいっしょにアップロード。少し悩んだがまあとくに大過なく実行までたどり着いた。

既にページ掲載のメールアドレスを.npのものに変更しているのだがさらに日誌制作用のアドレスを分離する準備。メールアドレス設定し放題のメリットを最大限に活かす。

……200LXのkのキーが突然非常に効きが悪くなった(泣)キータッチには変化がないから折れたとかそんな話ではないような気がする。

さくさく終業。ヨドバシへ寄って帰宅。

仮眠して目が覚めたら17時。そそくさと出撃準備。
さんごちゃんに火を入れる。アイドリングして出発。さんごちゃんの恐らく今年は走り納め。がらがらの阪神高速を久々に飛ばす。そろそろタイヤをスタッドレスに替えておかないといけないな。タイヤを替えて、オイル交換ついでにホイールバランスを調整してもらいに行くか。いずれにせよ年始の作業だなあ。

行き先は日本橋。ゲーマーズに行ってコゲどんぼ画集を持ち帰ってこねばならない。何も同じ月にと思うがぴたテンとデジキャラットと4日ほどの時間差で画集が出てしまったのでどっちもゲーマーズで予約してしまったり。ぴたテンのが2500円。デジキャラットのが5000円。

あと、ゲーマーズの上にあるとらのあなを念のためにチェックするとあったぞ電車でD12。迷わず調達。いろいろ買ったら1万円以上使ってたり(逝)

帰宅前にガソリンスタンドに立ち寄ってさんごちゃん給油、洗車をして新年の準備オッケー。
しかし明日の天気予報は(逝)

電車でD12。とにかくウケた。だんだんと判らないネタが増えて来ているのが少し気になるが(逝)

画集2冊。値段の差はほぼ紙質の差と思われる。ぴたテンの方で十分だろう、と思ってからデジキャラットのを見ると明らかに後者のがクオリティが高い。もちろんそれは絵の出来ではなく印刷であり仕上がりであり重厚感である。ちなみにデジキャラットの方には特典としてトランプがつく。

あと、デジキャラットの画集は正式にはCHOCOLA2003である。念のため。

年賀状制作(遅!)いちおう先日の雪旅行でも賀状のネタになりそうなカットはあったのだが、今回は見送って出発前に設定したデザインで行く事にした。刷るだけ刷って後は年明け(逝)


12月29日
7時にサルベージ。朝食食べて自室で寝足し。の前に日誌を更新。

昼過ぎに目が覚めて出勤準備。日誌の内容から佐藤氏から幾つか突っ込まれる。デッドセクションの駅を間違ったのはイージーミスだが、そっかあ、金沢駅の発メロは年中琴なのかぁ。知らなかったよ。年中お正月気分とは羨ましい(逝)

今週1週間は年末年始期間という事で阪急は休日ダイヤとなっている。
JRは今日1日は平日ダイヤの所も多いみたいだけど。で、割引率の高い土休日回数券が使える、のはいいけれど、宝塚線がお正月ダイヤになる事を深刻に捉えていなかった。宝塚線のお正月ダイヤは臨時特急が設定される。それ自体はもう20年以上も変わっていない。が平常時のダイヤが大きく変わって来ているのだ。

単純に自分が使うエリアだけの話だが、昼間走る臨時特急は豊中を通過するのだ。下手をすると出勤時の電車が特急に立て替えられていた日には遅刻しかねない。時刻をチェックしないと。

夜、チャットしつつ佐藤氏に指摘された日誌のミスポイントをこっそり修正(逝)

また明日。


12月28日
今日はお馬ぱかぱかの日。1年を締めてくくる有馬記念の日。
当初は買うつもりだったんだが金曜か土曜が夜勤というシフトではないと馬券の検討がし辛いので、せっかく大スポだの中京スポだの買って準備はしたけれども、買わない事にする。

んでも、買ったつもりになって応援しよう。で、馬券分の金額を17-35mm用(今の所。衝動買いすると取り崩される可能性あり(逝))積立金へ回す。もしそれで当たったら……来年はもっと積極的にお馬ぱかぱかしろと言う啓示だろうから、当たった事にしてなけなしの貯金の中から自分の誕生日プレゼントでも買うか(逝)

春先に大当たりかましてたH氏(鉄)は元気かなあ。たこまる氏と同じ職場にいるそうなのだけど。

結果。買わなくて正解(逝)
5000円ほど積立口座に移動させておこう。来年はもう少しまじめにぱかぱかしよっと。

残業後ヨドバシに突入して昨日のポジを現像依頼してから帰る。30日の朝受け取りかぁ。年内に投函出来る可能性はゼロになったといって良さそうである(逝)

外食して帰宅して轟沈(逝)


12月27日 今日のも無茶に長いです。ご注意
名古屋の手前で日付が変わった。0:07名古屋着。思った通りかなりの人が指定席車の前に列を作っていた。ここで乗車して来た本来の席の持ち主に席を譲るのが筋であるがその前に水分の調達が必須だ。この先長時間停車は中津川までなく、一端窓際の席に入り込んでしまえば通路への出入りは余りしたくない。寝入った所を起こされるのはさぞかし不愉快だろうから。トイレならまあ仕方ないにしても。

中央本線に入り快調に飛ばす。
381系の振子は自然振子式といい、カーブの遠心力に応じて車体を傾ける、いわば受動式振子であり、その登場時には乗物酔に悩まされる人々が多かったという。現在の383系をはじめとしたJR化以後(平成の技術というべきか)の新車群はあらかじめ記録させた路線データにしたがってカーブに差し掛かると同時に車体を自ら傾ける能動的振子ともいうべき制御振子式を実用化し採用している。

もっともちくまでは高速で一気に走り抜けてしまっては夜明け前に到着してしまうため、振子装置は動作させていないらしい。ゆっくりと通常の車輌と同じ速度で走り抜けるのだ。これは383系時代の定期列車のちくまでも同じである。現在神領電車区に残った381系が振子装置を活用するのは残り少ない臨時「しなの」のみとなった。

もっともJR東海では波動用でもJR西日本ではばりばりの現役であり、紀勢線系統にくろしお、として、伯備線系統にやくも、として塗装を新たにまだまだ現役である。特に後者は新形式車輌も投入されずまだまだ最前線で活躍するであろう。

ちなみに381系しなのが383系に置き換えられた時代、ちくまは客車列車であり、ちくまとして381系が走った時代は存在しない。ただし、JR西日本の381系を使用した臨時急行「くろよん」や「シュプール号」が走った事はある。

多治見を過ぎるとわずかに見える車窓風景が白く変わった。明日は1日雪の中かな。

松本で目が覚めた。ここでしばらく停車する。短い区間を一晩かけて走るための時間調整であると同時に、中央東線つまり新宿方面から来た列車が大糸線へ抜けて行くのでそれと相互接続を行うのだ。かつては中央東線にはアルプスという名の急行列車が走っていた。昼行列車は次々と特急「あずさ」に吸収され、わずかに1往復残った夜行列車もちくまと時期を前後して臨時列車となり、設定自体が幻のものとなりつつある。

そして今日ちくまが松本で接続するのは臨時快速ムーンライト信州である。183系特急型を使い全席指定である。つまりちくまから大糸線方面へ抜けようとしたら指定席券がもう1枚必要となるのだ。不便だなあ。

と思っていたら、駅長が乗車した2号車から松本で下車(乗換え)した人はほとんどいないようだ。このルートも過去のものなのかもしれない。

次に目が覚めたら長野手前だった。下車準備、と。

5:33長野着。
長野市内も雪が降っている。積雪は数センチといった所か。嬉しい事に立ち食いそば屋は5:50からの営業でしかもそれをくり上げてくれた。たちまち人が群がって来る。夏に文市氏が食べておいしそうだった特上かきあげだけ売り切れ扱いだった(逝)残念。きのこそばを一気にすすりこむ。

6:38発篠ノ井線普通松本行きは始発電車であるが終着松本は7:53とラッシュ時にかかるため電車は6両編成だ。もっとも今日は週末、しかも年末だからひどいラッシュにはならないだろう。

夜が明けだした。低い雪雲の隙間から薄く陽が漏れて来る感じ。冬の115系1000番台はなぜか頼もしく感じるなあ。モーター音も軽やかに加速。篠ノ井から篠ノ井線に分岐、雪雲の中を目指し一気に勾配を駆け上がる。

姨捨で下り長野行きと交換。わずかな停車時間の間にホームでシャッターを切る。トンネルを越えて冠着はさらに積雪が多かった。
夜の間に積もったパウダースノーを電車の風圧が巻き上げる。

聖高原でそこそこの乗客を乗せ(平日ならもっと多いのだろう)、長いトンネルと駅を交互に越えると松本盆地だ。雪は降っているけど青空も見える。旅日和だ。7:53松本着。

2時間弱時間があるので、改札を抜ける。駅前のビルに付いている温度計は朝8時で-2℃。余り寒く感じないのはなんでか。
駅前にドトールを見つけたので一服。暖かいコーヒーを飲みつつ、Jornadaで文章なんか打ってみる。まだメーラー入れてないんだよなあ。

のんびりしてたら9:30になってしまった(逝)駅そば食べる時間あるんかいな(逝)なんとか駅そばをすすりこむが全部は食べられず、おばちゃんに謝って大糸線ホームへ。

しかし9:44発南小谷行きは2分も遅れて出発、これなら全部食べられたかなあ。もったいないことをしてしまった。
南小谷行き331MはE127系100番台2連。E127系はJR東日本がローカル線向けに投入した車輌で今回が初乗車。100番台は大糸線向けで新潟エリアに投入したオールロングシートの0番台と異なり下り向いて左側がクロスシートを配した変則セミクロスシートとなった。一部とはいえクロスシート部があるのは嬉しい。
出来る事ならば、他線に投入されたロングシート車も機会あるごとにクロスシートに改造して欲しい。

大糸線はローカル線だがスーパーあずさやワイドビューしなのが定期列車で乗り入れる観光に重点を置いた路線であり、軌道はそこそこに整備されている。

所定は2連で途中信濃大町まで車掌氏が乗務する。が、車内に貼ってある但し書きを見ると冬季は一部列車をツーマン運転とするようだ。さらに331Mは車内改札用にもう一人車掌氏を起用してサービスアップ(と言うよりは取りこぼしの阻止あるいは精算業務に時間を取られる過ぎる事による列車の遅延防止だろう)を計る。

有明辺りまでは住宅も多く車内はかなり混雑だ。また各駅からも地元組だろう、日帰りスキーヤーやボーダーが乗車して来る。結構な混雑振りだが運転席後ろの立ち席スペースからカブり付きで全面展望を楽しむ事ができれば退屈はしない。

途中の駅でDD16のラッセル車と行き違った。1号車、ラッセル車、2号車、機関車、3号車、ラッセル車でございます(逝)
巨大なラッセルヘッドを装着して雪かきを行うラッセル車、もちろん見た事は何度もあるが運用に就いている(正確には運用した帰りだが)のを見たのは初めてだったりする。ちょっと感動したがそれは今から向かう先がかなりの積雪であるという証明でもある。

信濃松川を過ぎると雪が降り出した。視界が急速に悪くなって行く。

車内改札で隣に経っているスキー客らしい兄ちゃんズのきっぷがちらっと見えたのだが大阪市内発のきっぷだ。まさか同じルートではあるまい、と時刻表をめくってみて驚いた。朝6時ののぞみと名古屋7時台のワイドビューしなの1号を乗り継げば大阪を朝出るとこの331Mに間に合うのだ。新幹線の特急券が割高分とはいえ、一晩かけて松本にたどり着いたのと同じ、と言うのは驚きである。

信濃大町からやはりこの電車はワンマン運転になった。かなりの下車があったが立ったままの人も多い。ほとんどがゲレンデ方面と山登りのカッコだ。まあ、この路線だと当然だろう。

単線の線路だから上り下りの電車が同じレールの上を走るわけだが、既にレールの上も真っ白に雪が積もっている。こんなところでフルブレーキをかければ滑って行くだけなので、電車はホームのかなり手前で減速を開始、そろそろと停止位置へ持って行く。

簗場、ヤナバスキー上前で結構な下車があった。がシートは空かないのでカブり付きを続ける。

のんびり旅気分を味わうにおいて、国鉄型の115系とこの新型E127系とどっちがいいか、と言う話をすると圧倒的に前者に軍配が上がると思われる。但し、2連同士と言う事になると話は別で115系2連はトイレがないのでロングシートに座る羽目になっても長時間乗っても安心なE127系の方が快適だと思われる。

神城で大量に下車があり、シートに空きが出来た。ロングシート部に陣取る。

南小谷まで乗り通したメンバーが意外に多かったが更に意外な事にそのまま糸魚川行きを待つ人々がほとんどのようで、待合室を動かない人が多い。スキー客が多いと踏んでいたのだがどうも間違いのようだ。帰省するにしても、首都圏から大糸線北部へ向かうなら上越新幹線から北越急行経由で糸魚川からアプローチした方が速いような気もするのだが、距離的に短い松本経由が便利なのだろうか。それとも単純に接続が楽なのか。

あとは駅長と同じく青春18きっぷで日本海側へ抜ける人々のようだ。

改札が始まる。人が多いが停止位置からドア位置を推測して到着する列車を待つ。やって来たキハ52、見事に駅長の目の前にドアが来た。何とかクロスシート部に陣取る事が出来た。これで食事が出来る。

さてこのキハ52、今JRに残るディーゼルカーとしては最も古い形式となる筈で、2エンジンで単行運転が可能なメリットを活かして生き残った。塗装は変更され、ワンマン運転用の方向幕が設置されている。車内はワンマン運転の設備の他、クーラーも設置して結構印象が変わっているが、手動ドア、クラシカルな窓辺のテーブルなど不変のポイントも多い。

この列車本来はワンマン運転だが本日は車掌氏が乗務していた。なぜかオレンジカードも販売しているらしい。雪の中をごろごろ進む。
顔に水滴が。何だ?と思ったがどうも雪が吹き込んで来ているらしい。パウダースノーだからこそかなあ。

食後に車掌氏からオレンジカードを調達。まあ、記念だし。

姫川沿いを進む。姫川の名前に似合わずこの川は暴れ川で、数年前にも死亡事故を伴う被害を出していた筈だ。それが原因で大糸線は数ヶ月に渡って不通となり、確か駅長とあいぼりい氏が計画していた飯田線へのアプローチに使う北陸本線経由の臨時急行が運休してしまい、ちくまに変更になったのだ。
川沿いの銀世界を単行のDCがゆっくり進む。とてもとても遠慮がちに。トンネルの中だけ少しだけ元気を取り戻す。

キハ52というのはキハ20系列に属するのだが、このキハ20系列というのが一番古いのに一番乗り心地がいいと感じる。同じ台車に同じエンジンの筈なのに、急行用だったキハ58などよりもだ。

ときおり長く長くタイフォンを鳴らす。どこか寂しげな音色が白い風景に吸い込まれて行く。

小滝。なぜか発車しない。運転手氏がうろうろ忙しげに動いていた所を見ると軽度のトラブルだろう。ドアに雪が挟まって戸閉確認のランプが点灯しなかったとかそんな感じの。真相ははっきりしない。

頚城大野。頚城は新潟県西部の旧国名だ。もう県境を越えて新潟県に入った。厚い雪雲の隙間から青空が覗き、随分久しぶりのような気がする日光を一瞬だけ浴びせてくれた。

北陸本線が左手から見えて来たら終着糸魚川だ。北陸本線下り直江津行きが待っているから乗換えるなら急いで欲しい、とアナウンスがあった。結局かなりの乗客が乗りとおしたようだ。スーパーあずさに連絡で途中駅無停車の臨時快速でも走らせてくれたら結構利用率高そうに思えるのだけど。

糸魚川には雪はなかった、と書こうと思ったらいきなり大粒の雪。なんだこりゃ。

暖房の効いた待合室へ逃げ込む。キオスクで暖かいコーヒーを所望。寒いときには甘いものがいい。と言いつつ太るのだが(逝)

ホームへ出る。583系が構内の外れに留置されている。故障でもあったかな、と思って近づいてみたがあれはシュプール号だな。

富山行き普通は419系。特急用583系を近郊型にコンバートしたトンでもない系列だ。おかげで変な間仕切りはあるしデッドスペースが多い。ドアは出入りのし難い70センチタイプだからラッシュ時は遅延が生じる。余りいい所がないが、1両に幾つか残されたクロスシート部分は583系時代とまったく変わらず非常にゆったりとしている。おかげで座り心地は最高だ。

がらがらの車内は夏に乗ったときと同じ。ボックスを一人で占拠してくつろぐ。親不知付近の日本海を眺める。冬の日本海は波が荒くて見ているだけならとても楽しい。
西入善を過ぎるとまた窓から入り込んで来るような雪粒が窓を叩きはじめた。

金沢発18:59長浜行きに乗れればいい。一番最速の乗り継ぎで動くと実に2時間の猶予だ。こういうときはいい手がある。回り道か寄り道をするのだ。富山地鉄の新魚津・富山に乗るとか、富山地鉄の路面電車に乗って来るとか、高岡から加越能鉄道改め万葉線に乗るとか。

でも親不知の日本海を見てふと思いついた。氷見線に乗りに行こう。時刻表をめくると氷見で7分の折り返しで丁度いい時間で戻ってこれる。同じく北陸本線から分岐するローカル線は富山から富山港線、高岡から城端線があるがこれらはまたこんどだな。
ただ、富山港線は路面電車への転換を計画しているらしいので目が離せない。

富山で足早に乗り継ぎ。富山ではますの寿司を買おうと思っていたのだが、余り空腹でないので夕食は金沢の駅弁にする。

またますの寿司を買ったら大阪に呼び戻されるんじゃないかと思っているわけではない(逝)

うとうとしているうちにすぐに高岡。乗り継ぎには30分弱とイマイチ接続が良くない。
16時前なのに薄暗いなあと思っていたら雪が降り出した。それもぼたん雪だ。

氷見線ホームにやって来たのはワインレッドに塗られたキハ47。以前の北陸本線用の普通電車用の塗装に似た色だ。シックなカラーだから好きである。2両ともリニューアル改装済みである。車窓右手に陣取る。氷見線はこっち。絶対こっち。

ゆっくりと出発。コンテナ扱いの駅があったりタンク車をぞろぞろ留置していたり工業地帯の空気が漂う中、越中国分を出ると車窓右手に突然といっていい展開で富山湾が開ける。それもコンクリートの低い柵の向こうはもう海だ。
天気がよければ対岸に立山が望めるのは有名な話である。今日は雪が降るほどの荒天だからもちろん立山は見えない。ただ、この一瞬だけ雪が止み、夕陽に照らされた雲が上空に見えた。車窓右前に長く伸びる陸地は能登半島だろう。

海が見えなくなるとまた雪がちらつきだした。島尾を出ると程なく終着、氷見である。

氷見では7分の折り返しなので座席を進行方向に座り直しただけ、では余りに寂しいのでホームをてくてく歩いてみる。味のありそうなホーム上屋だ。何れ日中にきちんと訪問してみたい。雨晴の絶景も。

来たときと同じ時間をかけて高岡に戻った。雨晴の海岸線では荒れ始めた海とどす黒い雪雲、それと灯台の明りが見えた。

しかし12月のクリスマスを過ぎた後だというのに制服姿で列車に乗り込んで来る連中が結構いるのにはびっくりだ。

高岡に戻ると既に真っ暗だ。暗いのは雪雲のせいもあるのだろう。寒い中小松行きの普通列車を待つ。やってきたのは急行型の足回りに2ドアの近郊型の車体を載せた413系。車体載せ替えという手段は個人的に好きなのだが近年は余り各社行わないので面白くない。
急行時代と同じ(もっとも急行として走っていた時代には一度も乗車したことがないのだが)モーターの唸りを聴いて金沢まで。

金沢で一旦改札を出る。コンコースのコンビニへ。文庫本でも調達しようかと思ったが食指が動かず断念。大阪でも大スポにあたる中京スポーツを調達。有馬記念の予想でもするかな。
ホームでは既に琴のメロディとか流れて新年気分だったり。ホームの売店で駅弁を買おうと思ったら閉まっている。金沢駅3、4番線のホームはあまりメイン扱いされていないようだ。隣のホームへと足を伸ばして百万石弁当を選んだ。900円。

ちなみにこの複数あるホームのうち一部が低い扱いを受ける事は珍しくなく、それは基本的にそのホームから着発する路線が重要ではないか、あるいは純粋に着発する列車が少ないかのどちらかだろう。その逆ももちろんあって、長野駅は6、7番線ホームの売店や立ち食いそば屋は他のホームやコンコースのどの売店よりも早く開店していた。実に素晴らしい。1時間早く店を開ける手間に対して得られる利益はそう大きくないかもしれないが、厳寒の長野駅に日の出前に降り立った夜行列車の乗客たちがすすりこんだ暖かいそばの味は何よりも美しい長野の記憶として残る、かも知れない

味はともかくとか失礼な事は言わない。実際に、美味しいのだからこのスタイルでの営業を続けて欲しい。何より当てにして長野駅に降り立つのだ。なくなっているとえらい損害である。

さて。
長浜行きはさっき乗ってた小松行きの後ろ3両が金沢で切り離された編成だった。そのまま乗ってたらよかったかな。

発車間際になって結構な乗車があった。南下しつつ県境が近づくにつれてまた車窓が白くなっていくのが暗い中でも判る。さて、無事に大阪まで帰れるか(逝)

粟津で立っている人が視界から消えたので夕食にする。やっぱり県境に近づくにつれて人の流れが少なくなるのだなあ。
百万石弁当はおいしかった。なにより弁当にありがちなご飯が冷えたら固すぎ!箸が折れたやんけコラってのがなく、ふんわりと暖かいご飯に箸を通すが如く食べられたのは素晴らしい。

が。である。だが、なのだ。
それだけなんだよなあ。いや、味にケチをつける気はない。おいしかった。でも、コンビニ弁当でもこれくらいおいしいのは時折見掛ける。なにより、コンビニ弁当は900円もしない。ここに駅弁という商売の辛さが垣間見える。仕方ないのだ。仕方ないのだけれども……。何かいい手はないものか。

福井駅手前。ホテルAPAのネオンが視界を横切った。ホテルの値段とかは魅力的だと思うが、宿泊したお金があの社長のカッコに繋がってると思うと……あの広告は逆効果ではないのか?(逝)

福井で長時間停車。所定22分停車が先行する雷鳥が遅れているため、25分停車に。雪が原因だろう。また大糸線のキハ52が遅れたのかも。あとを追うように減速信号で本線に躍り出た413系は全開の回復運転を行う。各駅停車だが数十秒単位で遅れは縮まっていったようだ。

のんびり過ごす。Jornadaを開いてテキストを打ってみるが、バッテリーが残り1/3しかない。もちろん今日は十分持つだろうが、大阪、長野、松本、糸魚川、高岡、金沢、福井とさほど長くないPHSによるダイアルアップ接続を行ってあとはテキストを入力するか画面を見ながら考え込んでいただけでこれだけバッテリーが消耗すると駅長的な実用性としてはやや低いと言わざるをえないか。

敦賀で遅れを完全に取り戻したとアナウンスがあった。
長いトンネルを抜けてまたも県境を越え、滋賀県に入る。滋賀県を半周するとはいえ近畿に戻って来た。
と思ったら近江塩津でしらさぎに道を譲るべく5分停車。

虎姫を出るとデッドセクション通過で車内が薄暗くなる。照明が戻れば終点長浜はすぐである。
向かい側ホームで223系2000番台が待っていた。2分の乗換え余裕がある筈だったが席に付いたと同時にドアが閉じた。どうやらまた数十秒レベルでだが遅れが発生していたようだ。
大阪駅に入る電車の広告が目に入ればもう帰って来たも同然である。
米原で東海道本線からの乗換え客を受け入れるために若干の遅れを生じたとみられる。ドアを閉めた後は関西の私鉄にとどめを刺した鬼のような走りで東海道線を下る。東海道線から乗り継いでも北陸線から乗り継いでもはたまた山陽線から乗り継いでも、ましてや姫新線や播丹線から乗り継ごうものなら新快速の走りというのは別次元である。最高速度は新幹線の半分をちょっと越えたくらいだが加減速の感覚が新幹線以上でモータの唸りも半端ではない。
ぼーっとしている間に大阪着。平日なら網干行きだが休日ダイヤなので大阪止だ。乗り過ごす事もない。

大阪駅の改札を出て阪急梅田駅のコンコースに入ると「第3の男」が流れている。これ、阪急の宝塚、三宮、河原町までいく最終電車が出るから急げ、と言う印であり、阪急で最終に近い電車を常用している人々はこの曲を聴くとそわそわしはじめるのである。
改札の手前でみた時計が23:45、宝塚行き最終の急行が23:48発だ。急いで乗り込む。
まあ、豊中までいく電車はまだ数本あるんだけど、急行の方が段違いに速いので、立っていく事にする。急行なら10分だし。普通だと18分程度、8分の差とみるか倍近くかかるとみるかで評価は微妙だが、8分あれば次の急行が手前の駅まで近づいて来る事が出来る、と考えれば急行で立って帰る方が楽な気がする。どうしても今、座りたい、と言うのでなければ。

手元の土休日回数券を見ると残り4回、でも今日から1/4まで9日間、毎日土休日回数券が使えるんだよな。てことは4回では足りない。7回分の回数券を取り敢えず調達しておく。あとは年明けかな。

んで小腹が空いたので駅前の和歌山ラーメン店に寄り道。途中特急でショートカットとかしなかったからそれくらいは余裕がある。

帰宅。風呂入って寝る。


12月26日
風邪薬を飲んでみた。いい感じ。

時刻表ぺらぺら。最速乗り継ぎをかけると22時頃には帰宅出来るのだが、やっぱりそれじゃせわしないので、のんびり行きたい。
あとは駅長独自基準として長距離鈍行を始発から終着まで、というのを出来るだけ味わいたい。北陸本線の各駅停車は電車化された後も直江津発米原行きとかがごろごろ走っていたのだがさすがにその手の長距離運用は姿を消しつつある。ざっと時刻表を眺めて見つかるのが富山発福井行きとか米原発金沢行きくらいか。いずれも3時間ほどの運転時間となってしまって少し残念。
そんな中から今回は金沢発長浜行きをチョイス。金沢発18:59と暗くなってからの運転だが、のんびりと過ごすにはいいと思う。だらだらと終着の長浜まで下ればあとは大阪まで直行の新快速が待っているのも楽だし。
富山から福井まで下る列車をチョイスすると福井で30分以上待った乗り継ぎの後、さらに敦賀でも50分近くの待ち時間が発生するのでちょっと寒そうである。

終業後は梅田まで歩き、ヨドバシに突入。
フィルムを調達だ。今朝になるまではネガカラーで行く予定だったが、天気予報を見ると行先全てが軒並雪なので大逆転をかけてポジで行く事にする。
……手持ちのフィルムの在庫チェックしてないや(逝)
まあ、機材はα-707Siと24-851本で勝負だからISO400ポジを買っておけばいいか。TREBI400の3本パックをチョイス。

帰宅してフィルムの在庫をチェックすると、ISO400ポジは1本だけだから3本補充して正解と見た。ISO100ポジは若干余りぎみだが、これは来年最初の撮影行である山陰で使う事になるから問題ないだろう。

歯医者でごりごり。今朝の今朝まで予約したのを忘れていたのは内緒(逝)

帰宅して、麻酔が引くまで待ってたら16時になった(逝)んで仮眠。

目が覚めたら20時前(逝)ばたばた出撃準備して大阪駅にたどり着いたのがちくま出発の2分前という惨状であった(逝)

今秋から臨時列車になった急行ちくまは、それまでの383系から、波動用にわずかに残った381系に車種を変更された。ここらが理解に苦しむ所で、もともとちくまが383系になったのはワイドビューしなのが長野と大阪で夜間留置を行わずに効率よく運用出来るという面も多分にあったわけで、つまり、大阪に夕方の夜やって来たしなのがそのままちくまで折返し、朝大阪に下って来たちくまが車内整備を行ってしなのとなる、効率良い運用だった訳だ。ちくまが臨時になった後は、ちくまが運転される日だけ、効率よく、運転されない日は車輌を留置して、で良いと思ったのだが、臨時のちくまはそれように編成を準備して神領(中央線の名古屋の近く、つまり大阪と長野の中間点)からいちいち大阪あるいは長野に車輌を回送するシステムとなった。回送するにも電気代や乗務員の手間が発生しタダではない。
余り効率が良いとは思えないのだがどうだろう。

381系は国産初の振子式台車を装備した車輌で、中央線のしなのに投入するべくまず製造された。本日乗車する車輌はその由緒正しい生き残りである。6両で先頭1号車がパノラマ式に改造されたグリーン車で前後が非対象の姿。まあ、編成の前後が非対象なのは珍しくもないがこの後から改造されたパノラマグリーン車、愛称を表示するエリアがLEDなのだ。しかも古い時期のLEDだからオレンジ単色で解像度も低い。文字の愛称名しか表示出来ず、駅長的にかなりポイントが低い。全体的に不評だったのかもしれず、このあとJR東海が製造した在来線向け特急型車輌はJR西日本と共同設計・製造となった「サンライズ」285系以外は全てイラスト入りの愛称名を表記出来るようになっていて、駅長的にポイントを大きく挽回した。JR北海道や東日本はややカラフルになったとはいえLEDのヘッドマークが主流となり、JR九州や西日本は愛称名の入ったヘッドマークを入れないデザインの新車も多く残念である。
臨時の「ちくま」はLED表示機には何も表示していなかった。さびしいが側面の方向幕が臨時、でなかっただけでもマシというものか。

定刻に大阪駅のホームを離れる。駅長が座ったのは禁煙指定席の2号車。
残席1と表示されたにもかかわらず結構な空きがある、のはちくまの乗車層は大阪から名古屋圏全般と広いので最終的には千種や多治見までもが乗車下車エリアとなる。定期列車だった頃には名古屋・大阪間の利用もあったらしい。

大阪出発後、新大阪出発後のアナウンスの前後、京都出発後と鉄道唱歌のオルゴールを大盤振るまいしつつ東海道線を東に。空気ばねの効いたふわふわした乗り心地、と言うより小刻みな揺れが目立つのはやはり経年のせいだろう。モーター付き車輌だが防音はしっかりしておりうるさくは感じない。ただ、出入台との仕切り扉がフットスイッチが他の自動ドアで荷物の上げ下ろしのために立ってもプシューと言う音と共にドアが開いてしまうのは耳障りで厄介だ。ここいらにも古さを感じさせられる。

シートはロック機構付きに改良された簡易リクライニングシート。国鉄末期の標準型。窓はカーテンではなく、ハンドルを回転させると二重窓の間にブラインドが上下するベネシャインブラインド。381系の他、この前乗った583系でも採用されていたがあちらはカーテン式に改造されてしまっている。まさかまだ現役だとは思わなかった。

指定された席の通路側には出稼ぎ帰りっぽいおっちゃんが既に座っているので、空いている間は邪魔をしたくないので後ろの空いている席に取り敢えず腰を下ろす。
飲み物が買えなかったのでしかるべき停車時間がある駅で調達に走らねばならないのだ。検札に来た車掌氏は
「人が来たら譲って下さいね」
とだけ言った。停車時間の長い駅を訪ねると名古屋まではないようだ。ちょっと辛いかも。自業自得である。

列車は臨時列車らしく全開で飛ばしたり時間調整のために徐行したり。

米原を過ぎてJR東海エリアへ。窓の外が静かに白く変わった。大雪旅行の予感である。
車内放送の休止が告げられ、車内は減光された。

大垣に着くと雪は消えていた。

また明日。


12月25日
たっぷり12時間以上寝たがどうも喉が熱い。風邪引いたかな。

明日のちくまで出発して長野入り、のんびり松本へ取って返して、雪景色確実の大糸線を攻めて、非電化区間のキハ52を堪能して糸魚川へ抜ける。あとは夏に果たせなかった北陸本線普通列車で南下しきる、のが今回の予定。大糸線は以前ムーンライト(現ムーンライトえちご)に乗り遅れたときにやむなく新宿発の松本行き全車自由席の普通電車(通称山岳夜行)で乗車したときにやむなく乗車したきりである。夏にスイッチバック3連発をかましたときにスイッチバック優先で大糸線を外したのも心残りの一つだったし、記憶が鮮明な信越本線回りでない方を体験したい。

長野、松本と時間があるので、駅そば三昧って感じかな。

細かい時刻の流れは把握していないので検討するべく、コンパス時刻表を職場に持参。

また明日。


12月24日
対応でトラブってああたいへん(泣)

ヨドバシにベルズの新譜買いに行こうと思ってたのに残業ですと!(逝)
まあいいけど。1時間ちょっと残業してヨドバシへ。あったぞ「鉄道戦隊レオ☆レンジャー」(注・タイトルである)。

平づみだったのに見逃して店員に訊いてしまったのは内緒(逝)

で、大阪駅へ。ちくまのチケットを買おう。
高速バスで長野と少し悩んだが、381系の列車に始発から終着まで、ってのは実はないのでここで体験しておこう。
うわ、残席だって(逝)
あぶないあぶない。しかもD席って事はキャンセル発生分と見た。ラッキーである。

あ、手持ちの金額がない(逝)いいや、カードで(逝)

人生33年(に7日足りない)生きて来て、初めて生で見たぞ。

……クリスマスケーキの値崩れする瞬間(逝)

帰宅して今日は轟沈せずにまずはレオ☆レンジャーのCDバックアップから。可能な限りCCCDなど再生せずに過ごすのだ(逝)

……いいぞ、レオ☆レンジャー。ブルーが女の子ってのがいい(逝)
しかしベルズ、って言うかボーカルの野月氏、いい声してるなあ。ルックスはかなりアレだが(逝)

変なメールが来た。これはタチが悪い。これは引っ掛かるヤツがいるかも。
しかし差出人でもろバレって感じである(逝)

From: <deai.kanri@ezweb.ne.jp>
To: <ok@ezweb.ne.jp>
Date: Wed, 24 Dec 2003 17:00:53 +0900
Subject: =?Shift_JIS?B?gXmCsphBl42Beg==?=
X-Priority: 3
MIME-Version: 1.0
Content-Type: text/plain;
charset="iso-2022-jp"
Content-Transfer-Encoding: 7bit

あなた様の携帯電話ご利用について本人確認が必要となっております。※月〜土曜・午前10時〜午後7時まで電話受付を行ってますので、必ず下記の連絡先迄、ご連絡下さい。 ※連絡先※ コールセンター  03-5358-**** 担当:** ※尚、万一連絡なき場合は、今後いかなる事態が発生しようとも、当社と致しましては、一切の責任を負いかねますので、御了承下さい。 送信元:UFJ電算管理センター

お、UFJ銀行のコールセンター、24時間営業だ。なんか親近感沸くなあ(逝)ちなみに番号は0120-835-024である。というわけで、上のような部署が実在するか尋ねてみる。
「当行にはそのような部署はございません」
と、断言されてしまった。まあ、それがすじってものであろう。これで部署そのものが実在するようならたいしたものなのだが。
こうやってWebに上げておけば検索エンジンのいたずらもあることだろうし、何かの役に立つこともあるだろう。。


12月23日
出勤中に27日の撮影ルートを急に思いついた(逝)
やっぱり心残りは年内に片付けておくのが筋であろう。
余りにも急に思いついたので時刻表を持参してこなかったから職場でネット経由で調べてみる事にする。

……仕事忙しい(泣)
つか、わけの判らない案件が舞い込んで来て知らんちゅーねんんなこと(逝)

なんとか乗り切って帰る。そうそう、文市氏から青春18きっぷを受け取っておかないとまずいんだな。実質逢うチャンスが今日と明日か。
明日は……クリスマスイブだからやだな(逝)というわけで電波を送ってみる。
「今なんばです〜」
ビバ電波(逝)

というわけで梅田で邂逅。阪急三番街で、って言っておいただけなのにジョーシンでばったり(逝)ビバ電波(逝)
スーパーベルズの新譜、どうも梅田のジョーシンには入荷しなかった模様。
なんてこった。褒めたら次は裏切ってくれるんだよなあ。どこで買おうかなあ。

ケーキ屋でおしゃべりふにふに。りなざうを強硬に薦められる(逝)いや、良い道具なのは判りますが。みんな持ってるし。
でも、今りなざう買うとJornadaが絶対にお蔵入りしてえらいことになるのでダメ(逝)

補助券が溜まったのでクリスマスの福引をしてみる。22時前だというのに、福引所のお姉ちゃんズすっげーテンション高くって客は引きぎみ(逝)福引の結果はハズレ。ち。

帰宅して2日連続轟沈(逝)


12月22日
仕事ふにふに。大きなトラブルもなくほ。

何か忘れている、と思ったらスーパーベルズの新譜を調達し忘れていたのだった(逝)

さっくり帰宅。阪急三番街がオープンするまで待とうと思ったが、明日も昼勤なので明日以降調達でいい事にする。とはいえ、明日も明後日も昼勤が続くから体力を温存する必要があるな。バカみたいに遊び回るわけにも行くまい。

仮眠した後に、郵便局へ書き損じはがきを交換してもらいに行く。
インクジェットはがきに交換してもらっておいて、年賀状のテストプリントに使うと言う極悪な使用目的だったり。

夜中になってこまっち氏がやって来た。油圧ジャッキの交換会である。本当はファミレスにでも出向いて、と思っていたのだが眠いので立ち話だけ、と思って終わってみたら2時ってのはいつもの事とは言え自爆である(逝)


12月21日
昼過ぎに起き出して取り敢えず日誌更新。

そろそろ日誌の新しいフォーマットを作っておく必要があるのだけれども。

昼食後に轟沈してたら16時を大きく過ぎて職場に18時ジャスト到着と言う綱渡り運用となった(逝)そうか、あの急行に乗れなかったらだめなのか。乗り損ねたら素直に梅田経由にした方がいいわけだな。

仕事ふにふに。サムライジャックはやっぱりおもしれえ(仕事か?)

また明日。


12月20日
寒い寒い寒い(逝)

かってに改蔵ファンブックは怖かった。何が怖かったって以下省略(逝)

終業後まっすぐ帰宅。
さほど忙しくなかったので、まだ体力が残ってるなあ。明日は夜勤だし、遅くなっても大丈夫。

こまっち氏に電波。飯食うついでに油圧ジャッキの交換会でも。

と思ったが西神戸はに(逝)凍結は確実との情報を得て精神的に挫折(逝)これだから山間部ってヤツは(逝)

次はいつにしましょうかねえ。
んーと、明日から明後日が夜勤でその後が昼昼夜、だから4日後の夕方?
「それって世間的にクリスマスイブでは?」
しまったぁぁぁ(逝)
ネタ的にも痛いので止めましょう(逝)

夜中スキャナと筆まめをいじる。どうしたものか。3時過ぎまで悩んで決着つかず。

ありゃ、MC-P300職場に忘れて来ちゃったかな。


12月19日
昼まで寝倒して、献血に行くべく出撃。
前回の歯医者より1週間は経ってるので問題無し。

16時ジャストに時差回数券を投入してセーフ。果たして何分までが許容とされるのだろうか。

献血前に紀伊国屋コミックショップへ赴き、新刊を調達。あ、来月発売分のBREACH11巻も出てるよ。ONE PIECE31巻は既刊分を読み終えてないので見送り。
あとはかってに改蔵23巻。血迷って地丹ストラップバージョンを手に取る(逝)
そうそう。かってに改蔵のファンブックもちゃんと調達だ。
レジにて。
「カバーはお付けしますか?」
あ、お願いします。
(改蔵23巻を指して)「こちらはどうしましょうか?」
カバーして下さい。
「でもフィルム外すと外れてしまいますが構いませんか?」
つか、フィルム外さないと読めないだろ(逝)

献血ごんごん。
採血中に「お腹空いてます?」と訊かれる。確かに献血終わったら、何か軽く食べようと思ってたけど、そんなにお腹空いてそうな顔してたかなあ(逝)少し、って答えたらどら焼きを貰えた(逝)昨日の、らしいが(逝)

献血後にH”ショップへ出向く。電池を異常に食うRH2000から。氏からもらい受けたMC-P300に機種変依頼だ。どっちもパケットは32k、PIAFSは64kまでの機能で、RH2000のCFtypeIからMC-P300はPCカードフルサイズになるのだが、現状CFスロットオンリーのデバイスは持っていないのでよしとする。CFサイズへの転換はLinuxザウルスを買ったときにでも考えようかな。

ちなみに。氏の名前が強調表記になるのは、文中に入ると読みづらいからであって深い意味はない(逝)

待ち時間の間にヨドバシに向かい月刊アスキーを調達。CAPAはまだヨドバシに来てなかったので紀伊国屋で調達しちゃえ。
あ、シグマからも17-35/2.8-4がリニューアルだと。定価が1万円下がってフィルター径が使い易い77mmになる。タムロンの同スペックレンズに実売価格を合わせて来るのは確実で選択肢が増えた格好だ。嬉しい迷いになりそうだ。

帰宅。大阪は寒いだけだが雪が降っている地域もあるようだ。

年賀状のためにスキャナ起動。遅いよヲレ(逝)
色合いは妥協出来たのだが、レイアウトでむちゃくちゃ悩む(逝)レイアウトでこんなに悩んだのは初めてかも。

諦めて寝る(逝)


12月18日
明け方は仕事しつつ、カウンターに使用出来そうなGIF画像を探してみたり。

今コンコースのカウンターに使っている7セグメント風の画像は@nifty、しかもメンバーズホームページのお仕着せのカウンターのものだが、デザインそのものは単純で気に入っている。当ステーションに可愛いポップな書体でもなかろう(逝)

で、新しいコンコースではアクセス解析機能の付いたカウンターを導入する予定でテスト運用は始めているのだけれども、これに標準のフォントがどうもイマイチしっくり来ない、などと書いてしまうと作者さまに殴られてしまいそうだが、もう少しデジタルでもいいなあとか思ってしまうのだった。

というわけでいろいろ探して、今と同じコンセプトでちょっとイメージに代わるフォントが幾つか見つかった。
取り敢えず動くかどうか試してみるかな。

ヨドバシで会津のフィルムを受け取る。うむ。年賀状に出来るかな。

帰宅して居間で仮眠するつもり自沈したらたっぷり7時間睡眠(逝)

自衛隊の海外派兵の概要が決まったらしい。
人道的支援はいいとして。
学校や病院の再建とか土木工事ですか。
破綻したゼネコンに仕事発注すればいいんじゃないの?土木工事として。輸送やらは自衛隊を出さざるをえないのはしょうがないとしても、同じゼネコンに税金を使うならそうやって使うべきじゃないのかなあ。

危険地域に行く仕事受けられないなら破綻させておけばいいって事で。


12月17日
8時過ぎにサルベージ。食事して自室で寝る。

起き出してからえいやっと待合室工事。あっさりと動作成功。
さくさくとコンコースを書き換えて完了。
さらに日誌更新。

次は伝言板の移設かなあ。

うだうだしていたら時間ぎりぎりになった(逝)

淡路駅から乗った3300系はドアの窓が下方向に広がったプチ更新車だった。クーラーが交換されて車内化粧板が新しく張り替えられているがパワーウィンドゥではないし撤去された運転台部分にも手は加えられずそのままなのがプチ更新車の特徴だ。
おそらく通常の検査行程に化粧板と床材の更新を組み入れたのだろう。
クーラーはノンフロン型で除湿機能が追加されているので環境対策のアピールとしても急速に置き換えたいと言う目論見か。

出勤してみたら長時間停波のお知らせ。がびーん、聞いてないよそんなの(泣)

また明日。


12月16日
何度か目が覚めた。どうも今回は余りうでの良いドライバーではなかったようだ。
東京から大阪まで確か4回くらいは交代する筈なのだが、とくに東京を出てからのドライバーの加減速時にはがたがたと余り快適でない揺れを伴った。

寝台列車には今まで何回かは乗った事があるのだが、明け方目が覚めた事など一度もなかったのになあ。

オルゴールの音色と共に大津到着手前であるアナウンス。
外が暗いのは夜が明けていないのではなく天気がよくないようだ。

混み出す前に洗面所で顔を洗い、熱い湯にタオルを浸して来る。カーテンを閉じたプライベートスペースで身体を拭くとさっぱりして応急処置にはいい感じ。夏場なら乗車してすぐに行う事にしている。

でも、せっかく寝台車なんだから、シャワールームが欲しいなあ。
東京へ向かう列車の場合、サンライズ出雲・瀬戸やあさかぜなど特急寝台ならシャワールームが設置されているので快適なのだけど何れも大阪発着ではないので、帰路に利用出来ないのが痛い。帰りは銀河しか選択肢がないのだ。
折角ここまで生き残った歴史ある列車だ。もう少し手を入れて高速バスに対抗してもいいと思うし、シャワールーム設置はその有効な手段だと思う。

さっくり着替えて下車準備完了。

食事を済ませて出勤。

帰りにヨドバシに寄ってフィルムを現像依頼。
んで派遣担当のS氏と逢ってミーティング。3ヶ月更新が1月から1ヶ月更新になるんだと。

いいけどさ。派遣会社変えようとする動きが一部にあるようだけど、もし派遣会社ごと変えるんだったら、引き継ぎで1ヶ月はかかるわけで、てことは1ヶ月間は2倍の支出となるわけだけど判ってるのかなあ。
消耗品だが業務の生命線であるプリンターとファクシミリの保守契約の稟議書が通らないって現実を見ていると判っていないんだろうなあ(逝)

帰宅して轟沈(逝)